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【大江戸地図作成見聞】

江戸時代に誕生した「浮世絵」の中には、江戸の人々の暮らしぶりが色濃く残されています。

大江戸地図作成として、江戸の町中の「両国」を少しばかり追ってみたいと思います。江戸時代の「両国」は、浅草と並ぶほどの賑わいをみせていたと考えられています。「両国」の名は、「武蔵」と「下総」の国を結ぶ役割から名づけられたと言われています。

「武蔵の国」・・・現代の東京・神奈川県・埼玉県などを含む敷地


「下総の国」・・・現在の千葉県・茨城県を含む敷地

その頃の「両国」は、「盛り場」とされ、いつも人が行き交うような賑やかな場所でありました。

大江戸地図作成としては、「盛り場」とは、飲食店や娯楽施設、商業施設などが立ち並ぶイメージの環境です。

現代の両国も人が行き交うような街並みではありますが、当時の「両国」は、江戸の中でも1番、2番を争う賑わいをみせていたそうです。当時を描いた浮世絵には、見世物小屋や川辺、橋などが多く登場し、人々が街中を行き来する姿が快活に描かれています。

「見世物小屋」は、3つの種別に分別されていました


【曲芸】・・・軽業・曲独楽・足芸・曲持・曲馬


【細工見世物小屋】・・・人形・細工・仕掛け


【動物見世物】・・・動物

近年の都市開発は、自治体が主体となって計画を進めていくような計画的なプロジェクトとなりますが、江戸やそれ以前の都市開発から引き継ぐものとして考えられているのが、交通環境による人の流れが生み出す賑わいです。

また、それよりも古い時代の、都市開発についての起源としては、神社周辺地域への参詣者が、行き交う経路が都市開発への大きな影響力として捉え考えられています。

その場合、浅草は「浅草寺」、両国は「回向院」とともに、都市が活性化され隆盛する賑わいをみせたと考えられています。

大江戸地図作成としては、江戸以外の街を切り開いてみても、伊勢や讃岐などにもそのような傾向が伺えるのだそうです。

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